場外

para la calle

愁嘆する女と深夜の巨大建造物

どうしてもその日帰らないといけないわけではなかったが、一度フェリーに乗ってみたかった。ただそれだけの理由で高松を深夜1時に出港するジャンボフェリーに乗っていた。

高松DIMEにライブを見に行ったのだった。5月末の平日、行きは大阪から、昼過ぎに着く高速バスで高松に到着し、ことでんに乗ってふらふらと適当に観光し、屋島神社から高松市内を見下ろして、神社への登り口近くにある本家わら家という有名店で釜揚げうどんを食べた。おいしかった。またことでんに乗って市街に引き返し、当時DIMEのあった常磐町商店街をうろうろし、ライブを見て、終演後に鶴丸という有名店に行き、いちばん人気のあるメニューだというカレーうどんを食べた。おいしかった。それでも深夜1時までまだ間がある。JR高松駅の入場券を買い、発着する電車の写真を撮って終電まで時間をつぶした。
日中は快晴で日差しの強い日で、ひもすがらうろうろしていたので疲れもあり、なーんでフェリーにしたんやろ、明日も休み取ってあるんやし、安宿でもいいから泊まって帰ればよかったな、そしたらうどんももう二食ぐらい食べられたのに、と思いながら、深夜の人影のない真っ暗な高松東港を徘徊してさらに時間をつぶし、0時半頃、ようやく、じめじめと湿気た連絡通路を渡って、予約していたフェリーに乗り込んだ。

船内をひと通りぐるっと見てまわると売店があった。カウンター席があり、軽食としてうどんを提供している。出港後ほとんどすぐにラストオーダーになってしまうというので、すぐ席についてうどんを頼んだ。天かすとわかめの入ったシンプルなうどんが、その日食べたなかでいちばんおいしかった。いや〜よかった、フェリー正解やな、と腹いっぱいで機嫌よく、再度船内をうろつき、どこに落ち着くのがええかな、と考えた。すでにほとんどの乗船客が自分の居場所を定めている。
うどん柄の張り地のリクライニングシートが並んでいる部屋が見通しも居心地もよさそうだったが、できたら横になりたい。カーペット敷きの女性専用ルームがあり、そこがよいかなと、数人の女性がくたびれた様子で座ったり横たわったりしている部屋に上がり込むと、換気機能がおかしくなっているのか常軌を逸して埃臭い。一度は横になってみたものの、10分と耐えられずに部屋の外へ出た。
最初にうどんを出してくれたカウンターの店員以外のスタッフが一人も見当たらない。治安的にはいまいちやけど、と思いながら階段をのぼり、柔道の試合場が4面分ほど並べられたようなだだっぴろい座敷に行くと、照明が落とされて仄暗いなかで、ワイシャツとスラックスを身につけたビジネスマン2人が、低い棚で区切られた座敷をひとり1面ずつ広々と占拠して、ビジネスバッグを枕に寝転がっているだけだったので、靴を脱いで、残った区画に上がり込んで腰を下ろした。
行きの高速バスでかぶるために持っていた大きな薄手のストールを頭から膝元まで掛け、筵をかぶせられた土左衛門のように横になり、1時間ほどウトウトしていると、女のすすり泣きが聞こえてきた。
座敷の隣、船外のデッキに出るまでの間のスペースに、古いアーケードゲームの筐体が10台ほど並ぶゲームコーナーがある。深夜便なので筐体の電源はすべて落とされているものの電灯だけは煌々と点って明るいそのスペースに女がいて、電話しながら泣いているらしい。別れ話を切り出されたようで、むせび泣きながら電話の相手に翻意を懇願している。深夜3時である。
船内は他の客の迷惑になるため通話禁止、電話がしたければデッキに出ろと乗船前に注意されていた。耳栓を持ってきていればよかった。持っていないのだからどうしようもない。声から遠ざかりたいが、ゲームコーナーから遠い側の区画はビジネスマン2人が占有しているため移動しづらい。
なんで見ず知らずの人間の愁嘆をひたすら聞かされなければいけないのか。20分ほど我慢したが、通話をやめる気配がない。バカ女め。起きて立ち上がり、靴をつっかけて、爪先立ちでそっとゲームコーナーを覗きに行くと、コーナーの奥、ストIIみたいな古臭い筐体2台の隙間に三角座りの女が挟まっている。汚な、なんやこいつ。女は自分を見に来た人間がいることには気づかない。
「ねえ、そんなこと言わないで」
「お願い。直すから。もう二度とやらない」
聞き馴染みのない標準語で重ねられる繰言に苛立ちながら、どうしたものか考える。スタッフを見つけて状況を説明し、通話はご遠慮くださいと通告してもらうのがベターだろう。しかしスタッフはいない。本当は直接、電話するなら表に出ろと怒鳴りつけてやりたい。外は真っ暗な海だ。この状況でデッキに追い出したあとどうなるか、最悪のケースを考えたら何も言えなくなり、かかとを入れないでいた靴を履き直してデッキに出た。
気密性の高いドアを静かに閉めると女の声は聞こえなくなった。
あー、イライラすんなあ。なんで深夜3時半にフェリーのデッキで夜風に当たらないといけないのか。誰もいないデッキで、柵にもたれかかりながら、うっすら星の見える夜空を見ていた。海上に灯りはない。海と空以外なにもない。横になって寝たい。あと1時間半…。ザンザンと海を進む音だけが響く船首側デッキでしばらく真っ暗闇を見ていると、黒と鉄紺色のグラデーションの夜のなかに、自然物ではあり得ないたくさんの暗い線と、等間隔に並んだかすかなオレンジ色のライトがゆっくりと浮かび上がってきた。フェリーはどんどん線に近づいていく。明石海峡大橋だ。
行きの高速バスでも渡った。夜間のライトアップを見たこともある。しかしメインケーブルなどのすべての装飾用の明かりを落として海上橋用の道路灯をぽつぽつと点しているだけの真っ黒な明石海峡大橋は、とんでもない異物に見えた。極太の基礎で支えられた、右も左も終わりが見えないほど長い橋が、何もないだだっ広い真っ暗な夜の海に黙って刺さっている。フェリーが進み、どんどん橋に近づいて、見上げる姿勢になると、その巨大さに更に畏怖を感じた。これはおかしい。人間はこんなに巨大な建造物を作っていい生き物だろうか。勝手に海にこれを突き刺していていいんだろうか?人間が作るものとして、これはいくらなんでも巨大すぎるんじゃないのか。圧倒されているうちにフェリーは明石海峡大橋をくぐり抜けた。空と海はまた真っ暗になった。
呆然としたまま、起こされなければ見逃していたなと、なんとなく感謝の気持ちを芽生えさせて船内に戻ると女はもういなかった。また座敷に上がり、横になり、いま見た明石海峡大橋の姿を反芻するうちに寝落ちた。そして30分もしないうちに船内に爆音で鳴り響くジャンボフェリーテーマソング「二人を結ぶジャンボフェリー」にたたき起こされた。

フェリーが神戸港に着いた。わらわらと下船する人の列のなかに、女の後ろ姿があった。これから早朝5時の神戸に降り立ってどこに行くんだろう。昨夜高松で会ってきたところだったのか、それとも今から会いに行くはずだったのか、結論はどうなったのか。わからないけど、考えてみれば深夜3時にいつまでも電話を切らず別れ話をするほうもするほうだし、ただただそういう関係性なのだろうという気がした。
とりあえず、帰って、もう一回寝よう。そして起きたら冷凍うどんと天かすとわかめでフェリーのうどんを再現しよう。そう考えながら、ひと気のない三宮の歩道橋を渡って帰路についた。




(荷物を置いたままデッキに出たので明石海峡大橋の写真はない。これはたたき起こされたあと下船の支度をしてからデッキに出て撮った、午前4時半の神戸港)



(ジャンボフェリーテーマソング「二人を結ぶジャンボフェリー」。たたき起こされるからイラッとするだけで、この曲自体は名曲、というのが大方のジャンボフェリー経験者の共通見解)