場外

para la calle

服が燃える

怠惰な大学生だったから大体毎日昼まで寝ていた。
ある冬の日、昼前に起きて、ぼんやりしたままインスタントラーメンを炊こうとした。大阪ではラーメンを作ることを炊くという。着ていたのはフランネルのパジャマだった。怠惰だからわざわざ部屋着に着替えたりしない。
雪平鍋に水を張って左手でコンロに置き、把手を左手でおさえたまま、右手でコンロのスイッチをひねった。ネルのパジャマのガバガバの左袖口がチラッと光ったように見え、「あれっ」と声を上げたときにはもう右の袖口が燃えていた。
「うわっ」とさらに声を上げたとき、背後のダイニングテーブルに座っていた母が私を振り返って悲鳴を上げた。
表面フラッシュ現象という。起毛素材など、表面が毛羽立っていて、その毛羽(けば)のあいだに空気を含んだ布は、いったん引火するとその空気の層を伝って一瞬で全面に火が走る。振り返った母が目にしたのは私の燃えている背中であった。引火から2秒である。
ただ、表面フラッシュは一瞬のことであり、着ていたのが100%綿素材の厚手のフランネルだったので、火が走ったあとさらに火柱が上がるというようなものでもなく、皮膚に張りつくということもなく、しかし袖はジワジワと燃えている。自分では見えないけれど多分背中もパチパチと燃えている。母はその日、もともとはフワフワだったのに洗濯したらものすごく目が詰まって遊牧民が重ね着しているフェルト状の衣服のような風合いになってしまい外着に使えなくなった、ギチギチにぶ厚いウールのローゲージカーディガンを着ていた。火にひるむことなく立ち上がった母は、台所の私に駆け寄って、背後から両袖を抱え込むように思い切り抱きついてしばし強めに密着し、空気を遮断して私の火を消した。
母がいなければ多分死んでいた。母がいたので襟足がすこしチリチリになっただけで済んだ。
重なった幸運がいくつもあった。母がいたこと、母がウールを着ていたこと、母が正しい消火方法を知っていて、それをすぐ実行できたこと
*1、腹部側まで延焼しなかったこと、私がパジャマの下には何も着ていなかったこと。化繊を着ていたら多分母がいても死んでいただろう。焼けたパジャマは母によってすぐに剥ぎとられ、忌み物のようにしばらく風呂の浴槽に沈められたあと処分された。捨てる前に干して乾かしたものをさわってみたところ、表面の毛羽が根こそぎ失われてツルツルに禿げていた。
母からは「これからは台所には全裸で立て」と強く言い渡された。パジャマのほかに、ネルシャツも処分した。次にフランネル素材の服を買う気になるまで10年かかった。化繊もまず買わなくなった。買ったとしても絶対に部屋着にはしない。着やすそうな化繊の部屋着を服屋で見かけても歯噛みするだけである。私は台所に立つだけでうっかり消し炭になるような人間なのだと、肝に銘じて生きている。

*1:水をすぐにかけられる状況なら水をかぶってください