場外

para la calle

団地の生活

各戸のブザーの多くは壊れていたので、住民はブザーを使わなかった。
インターホンではなく、押すと室内で「ブー」という音が鳴るだけの簡素なブザーである。住民はみんな、近所の部屋を訪ねるときは金属のドアをドンドンと拳で叩いてノックをした。住民だけでなく、地区の郵便局員や運送屋もノックをした。うちのブザーは壊れていなかったが、たまに鳴らされると、「よそものが来た」と思うのだった。
母からは、留守番中は誰が来ても居留守を使いなさい、それがお隣のおばちゃんであっても開けなくていいと言い含められていたので、ブザーが鳴らされたときは居留守を使い、隣のおばちゃんがノックして名乗ったときは開けて応じた。

団地では大小の事件がよく起きた。階段の踊り場ではいつも不良がうずくまってシンナーを吸っていたし、外壁修繕工事の期間中は足場からの不法侵入が頻発した。足場がなくとも外壁の配管をよじのぼって転落した者もいたし、ダスト・シュートには生きた猫が投げ込まれ、年に一度か二度は火遊びや不始末から小火が起き、エレベーターにはいつでもションベン溜まりがあって、「チンピラに絡まれて彼女を置いて逃げてきた」という青年が夜中に訪ねてきたので警察を呼んだこともあった。子供心にこいつは最低やなと思った。

地区には17時のサイレンなどはなかったので、外で遊ぶ子供は陽が傾いてきたら道行く人に時間を尋ねた。「すいません、いま何時ですか」と聞くとだいたいの大人は腕時計を見て時間を教えてくれたし、顔見知りでなくとも「そろそろ帰りや」と声をかけてくれた。喉が乾いたら近くのお好み焼き屋に行って「すいません、おみずください」と言えば、入り口脇の小さな手洗から水を飲んで良いと許可してくれた。
防災無線というものの存在は大人になって初めて知った。なぜなかったのかわからないが、治安が悪すぎて機器を設置できなかったのではないかと思う。街灯もカーブミラーも車止めもだいたい傾いているか傷だらけかその両方だった。近所にあった公衆電話は常に壊れていた。あるとき何かの折に受話器を取ってみたら軽く、見ると送話口がごっそりえぐれていた。コードで人の首を絞めながら受話器で頭を殴ったりするとこういう壊れかたをするんかなと思った。
BB弾を拾い、オシロイバナの種を集め、ツツジの蜜を吸い、探偵をし、死刑をし、戦争ごっこをし、たまにはハンカチ落としなどの可愛い遊びもし、ゴム跳びは楽しくないので断り、ベロンベロンにたわんだ菱形金網のフェンスを乗り越えて立入禁止場所に秘密基地を作り、そこで昼寝をし、ゴミ捨て場のドラム缶の後ろに押し込まれたボロボロのエロ本を拾ってめくっては、ろくなページが残っていないと文句を言い合って遊んだ。エロ本がゴミ捨て場のドラム缶の後ろに押し込まれているのはもちろん先にゴミ捨て場から拾って束をほどいてめぼしいページを抜き取ったやつが残骸をそこに捨てるからだ。子供が喜ぶようなページは残っていなくて当然だった。

道端にはよく靴が落ちていた。左右のそろった大人の靴が多かった。ずっと「ここで拉致されたんかな」と思っていたが、今考えればあれは路駐していた土禁の車が回収し忘れたものが多いのだろう。
空き地には車が棄てられており、たまに燃えた。車は金属だからそんなに燃えないように見えるが、実際にはシート部分が特に景気よく燃える。片付けられてもまた新しい車が棄てられたが、いつもタイヤはなかった。棄てられているからタイヤが盗られるのか、タイヤを盗るために盗んできてそこで棄てるのかはわからない。落ちている靴までは拾って売らないだけ、まだましな土地柄だったのかもしれない。

国道の向こうはさらに治安が悪く、向こうへ渡ってはいけないと言い聞かされていたが、土曜日の午後に週刊少年ジャンプを早売りする個人経営のスーパーがあり、たまに買いに行くことがあった。店の軒先にはだいたいヤンキーがヤンキー座りしていた。「ひゃっけんちょーだいや」とねだる、ジャガー横田みたいな風貌のヤンキーに、「ないっす」と答えながら入店し、ジャンプを買って出てくると、「あるやんけ」と言われるのだが、「これ買うたからないっす」といなせばそれ以上のことは言われなかった。だったらそのジャンプを寄越せ、というようなことをヤンキーが言わないのは、ヤンキーは漫画が読めないからだ。

団地にはいろんな人が住んでいた。元ヤクザの男は真夏も七分袖を着ていたが、いつも腕の入れ墨が袖口からすこしだけ見えるので、ああやってひけらかしているようではどうせまたヤクザに戻るだろうと噂されていた。団地の各階の端には単身者用住戸があった。ひとつ下の階の西向きの部屋に若い女性が住んでおり、すこし年上の友達といっしょによく部屋を訪ねた。二号さんか夜の商売かはわからないが、女性は平日の日中でもだいたいいつも部屋におり、嫌な顔もせず部屋に上げてくれた。かといって小学生と遊んでくれるわけでもなく、あやとりなどをして遊ぶジャリンコは放って、窓際の板間に座って西日を眺めていることが多かった。友達の家は狭い玄関の壁になぜか大きなゲルニカのレプリカを飾っていて、何の絵か知っていたわけではないものの、いつも薄目で、壁を見ないようにして部屋に上がった。
同い年の幼馴染が階下に住んでいたが、6歳のときに一家で夜逃げをした。前日、母に連れられて遊びに行ったら、近所のお母さんが集まって大きな段ボール箱に荷物を詰めていて、熊のぬいぐるみを入れるかどうかを話し合っていた。何も知らずに翌日ひとりで訪ねてノックをしたが出てこず、家に帰って「おらんかった」と母に言うと「引っ越したよ」と言われた。昨日のは荷造りしとったんか、と、そこでようやく合点がいった。熊のぬいぐるみを結局持っていったかどうかはわからない。数日経って親族が部屋を片付けに来、うちの新聞受けに桃太郎の絵のダイカストキーホルダーを投げ込んでいった。幼馴染からの餞別らしかった。
隣のおばちゃんにはいつも可愛がってもらった。当時はあまり大人が子供にあげる習慣のなかったバレンタインデーのチョコレートを毎年くれる洒落たおばちゃんだった。学校が半日の日、下校したら母が出かけていて家に入れず、廊下に停めた自転車にまたがってぶらぶらとペダルを漕いでぼうっとしていると、「お母さん、おらへんのん?うち来てごはん食べるか?」と、焼きそばなどを食べさせてくれた。家に帰って、お隣でお昼を食べさせてもらったことを言わずに母の作る焼き飯を食べたりした。おばちゃんは後年、近所の人と揉めたことがきっかけで、その当時はノイローゼと言ったが今でいう神経症を発症し、左右違う靴下を履いて焦点の合わない目で買い物に出かけるようになってしまった。

秘密基地は飽きて放っておいたら不法投棄ゴミがたくさん押し込まれるようになり、あるとき火事になったために出入り口が完全に塞がれ、誰も入れなくなった。もともとわりとコンディションのいい布団もあったし、雨も凌げて人目にもつかないし、子供がいなくなったあと、誰かが住んでいたのかもしれない。

12歳のときに団地から引っ越した。引っ越した先のマンションは、エレベーターに毎朝ションベン溜まりがあるというようなことがなく、「ここも犬飼うてる人おるのにエレベーターでシッコさす人ないねんな」と言うと、母が、団地のエレベーターの小便は犬ではなく人のものだと言うのだった。酔っ払いがエレベーター内で用を足すのだ。あの団地、本当に酷い環境だったのだなと、比較的まともな場所に越してはじめて知った。階段の踊り場でシンナーを吸っていた不良のことを、実際にはよく覚えていない。いつもうずくまっている者がいるのは認識していたが、シンナーを吸っているとは知らず、そして誰かがいつもうずくまっているのが当たり前の光景だったからだ。「団地の子はシンナー吸ってるから背えが低い」とはよく言われていたが、そうなんや、どこで吸ってんやろ、と思っていた。
団地は今もある。最近もひと部屋燃えたらしい。





探偵…ケイドロのこと。
死刑…ボールを使った遊びの一種。複数人で壁に向かって立ち、ボールを持った者が他の者の名前を言いながらボールを壁に高く投げ上げる。呼ばれた者(鬼)が跳ね返ったボールを捕る。捕れなかった場合、全員が壁から離れる向きにダッシュし、鬼がボールを拾って「止まれ」と言ったところで止まる。鬼がその場から誰かにボールをぶつければ、ぶつけられた者が鬼になる。鬼になった回数に応じて、壁に張りついてボールを投げつけられる「死刑」というペナルティが行われる。
ひゃっけん…100円。