場外

para la calle

献血でもらった卵を割る

はじめて献血をしたのは高校一年生のときだ。学校に献血カーが来た。一学期の期末テストが終わったその日、食堂で昼食をとってからクラブ活動をする予定にしていた。いっしょに食べようや、と言っていたクラブの同輩が、ご飯を食べる前に献血するという。
献血って腹いっぱいでなくてもええの?
若いから別に腹いっぱいでなくてもええと思う。まあ先行って食べとってよ。
どんぐらいかかる?
知らん。したことないし。
ふーん、待つのもかったるいから私も献血しようかな。人の献血の待ち時間に献血である。受付場所である会議室に、同輩にすこし遅れて意気揚々と乗り込み、「けんけつします。はじめてです」と申し出た。母が「いつも比重が足りなくて断られる」と話しているのを聞いていたから、もしかしたら私も断られるかもしれない、と思ったけど、採血も検査もスムーズに進み、はい、OKでーすと献血カーに案内された。
比重は問題なかったが、血管がとりづらいのと血圧が低いのは今も当時も同じで、さすられ、もまれ、温められ、わりあい時間がかかるな、と思いつつ、腕を這うチューブをぐんぐん進んでいく自分の血のあたたかさに感動した。体内にあるときには熱を感じないのに外に出るとぬくいのは、寒いときのシッコに似てるな、と思ったりもした。
献血手帳と、記念品の金ピカのテレホンカードをもらった。食堂で他の友達に見せびらかしながら、血を抜いて食うカレーそばは美味いなどと言いつつ昼食をとった。
もともと採血のときにも最初から最後まで直視するほうなので、血を抜くこと自体も、血液検査の結果や「血が足りません」というダイレクトメールがハガキで送られてくるのもおもしろく、以降、30歳ぐらいまで6、7回ほど献血した。30歳をすぎたころ、それまでにも何度か断られることはあったものの、とうとう三度連続で断られたのを機に全血献血はやめた。
三度目に断られたとき、御堂筋の献血ルームで検査担当のお医者さんに「献血したあと体が戻るまでに3か月。あなたの場合は1年かかるのね。あなたは無理しないでいいほうの人」と言われ、それが決定打になった。「時間のある日に成分献血に来たらええよ」とも言われたが、全血でも出が悪くて迷惑をかけがちだったので成分なら2時間近くかかるだろうし、成分献血は献血カーではできないので結局成分献血をしたことはない。後日友人に愚痴ったところ、「三十をすぎた女は自分のためだけに自分の血液を使ってええんやで」と諭され、確かにそうかもしれん、と納得した。
以来自分のためだけに自分の血液を使っている。

献血でもらえる記念品というのはいろいろあって、金券類など換金可能なものの配布は現在では行われていない。それでもたとえば先に書いた献血テレホンカード以外にも、覚えているだけで

  • 献血マフラータオル
  • けんけつちゃんストラップ
  • ハローキティ×献血コラボパスケース
  • AKB48のクリアフォルダ
  • 献血カートミカ
  • 食パン
  • どん兵衛
  • 卵6個パック

などをもらった。
トミカは一時期狂ったようにトミカで遊んでいた従甥にあげた。さぞ喜ぶだろう、と思ったけど、年に1回しか会わないのであげたタイミングが遅かったらしく、うすい笑顔で「ありがと~」と言われただけだった。いらんねやったら返してえや、という言葉が喉まで出かかったが、大人げないと思って飲み込んだ。
食パン・どん兵衛・卵6個パックは献血カーに場所を提供したイトーヨーカドーからのふるまいで、普段は食パンと卵だけのところ、歳末なので年越しそば代わりにどん兵衛つけます!ということだった。広告を見て、え、いっぺんにそんなにもらえるんですか、と、行ったことのないイトーヨーカドーまで、普段通らない幹線道路の路肩をガタガタと自転車を漕いで20分かけて行き、献血の前後に野菜ジュースを3パック飲み、スタッフのみなさんから笑顔で渡された食パン・どん兵衛・卵の入ったレジ袋を自転車の前かごに入れて、また20分かけて家に帰ってきてうきうきとパックを開けたら悪路に揺られた卵は6個とも割れていた。
蟹缶を買ってきて、生卵6個をボウルにあけて殻を取り除きながら、せっかくお礼にくださった品をこのスピード感でだめにするのは人としていかがなものかと反省した。未だにわからないんですけど、自転車で卵を持って帰るときって、マジでどうやって持って帰るのが正解なんですかね?




(飛び込みで献血をすることのほうが多かったので何度も再発行させてしまった献血手帳・カード)