場外

para la calle

「幽霊」の作用/舞台「幽霊はここにいる」感想



けっきょく今の世の中のうごきは、すべて商品価値というものに解消していくわけでしょう、そういうもののなかに、はまりこんじゃった幽霊だな。つまり、実体のない純粋な商品のことですよ。
安部公房「稽古場にてー安部公房・千田是也両氏にきく」


公演について

チケットについて

公演詳細を見て、まずチケット価格に慄き、また安部公房を理解できる気もしなかったため、さいしょは見に行くつもりはなかったものの、たまたま主催者先行抽選をやっているのを見つけ、どうせ当たらないだろうと申し込んだら当選した。全席一律12000円。12000円か、12000円な、12000円あれば甲子園でも7回、京セラなら10回外野に行けるな、野球で12000円払ったことがない。日米野球を見に行ったナゴヤドームの弁当・酒付きのシートが9600円だった。
キャパシティが違うんやから仕方ないけど、演劇というのは金のかかる界隈なんやな、と、あらためて驚いた。コロシアムみたいなとこでやれば単価は下がるのだろうか?

劇場について

森ノ宮ピロティホール。主催者先行抽選というのは大体まずい席が割り当てられるもので、引き当てたのは案の定最後列だったが、ステージの3分の1が見えないという観劇体験を経た今、ステージが端から端まで全部見えるというだけで良席なのだった。
前回はやはり金額以上に良い経験をしたといえよう。負け惜しみではありません


森ノ宮ピロティホールの西隣にはかつて日生球場という球場があった。周辺には現在でも野球グラウンドをモチーフにした舗道デザインが残る)


準備

去年の舞台「盗聴」観劇の折には、「何も前情報を入れずに見に行ったほうがよい」とのことだったので、真に受けて本当になんにも知らずに見に行き、なんとなく根拠もなくコメディだと思い込んでいたから人が死んでびっくりした。それはそれで愉快な体験でした。
しかし今回は安部公房で、私は「砂の女」すら読んだことがなくて、ただ、安部公房?シュールでしょ?シュールかあ、うーん、ちょっとね、という印象しか持っておらず、もともとシュールとかナンセンスとかをまったく解さないたちだし、ノー勉で安部公房は12000円をドブに捨てるも同然やろ、と思い、今回は、まずテクスト(台本)は読んでいこう、と考えた。12000円という価格に慄いたからこそだと思う。3000円なら多分ノー勉で行く。
テクストそのものはごくシンプルに、とてもおもしろかった。こういう機会がなければ一生読むこともなかったかもしれない。よかった、これはいい金を払ったなと思った。
ついでに読んだインタビューや評論などは案の定「なにをいっているんだかさっぱりわからねえ」と思ったけど、わからないなりに、記事をさがし、読んで、その参考文献をまたさがして読み…というのも楽しい作業だった。それも12000円で自分にペイバックされるもののうちと思い、できる範囲で備えて観劇に臨んだ。勤勉だね。暇だからな野球のオフシーズンは

参照したテクストについて

「幽霊はここにいる」の初演は1958年6月に俳優座劇場で行われ、その上演台本は同年の雑誌「新劇」1958年8月号に掲載されたものが初出である。翌年に単行本が発売され、12年後の1970年3月に加筆訂正を加えて改訂版が再演されたので、初出版(しょしゅつばん)と改訂版の2バージョンが存在する。
今回は初出と同じ内容が収録された1959年の初刊単行本と、1972年の全集に収録された改訂版を参照した。ざっと見比べると、やや台詞が省略・変更されたり、語尾が調えられたり、ト書が追加されたり移動したりしている。
はじめに「三幕十八場」とあれば初出版。「三幕十八景」とあって、登場人物が整理され「人夫」が入っていれば改訂版。だと思うのでこれからテクストを入手されるかたは見分けかたの参考にしてください。今回の上演は改訂版だが、事前アナウンスによればなぜか「一幕・休憩・二幕」という構成になっているらしく、え、三幕は…と不安になった。区切りを変えたようだ。

(そのほかのテクストと、観劇にあたって参照したインタビュー・評論等の文献のリストは記事の末尾に記載しました)


作品概要

発表まで

初演は終戦から13年後の1958年(昭和33年)。主人公の深川が32、3歳の元上等兵なので、初演時点より数年前の時代設定で書かれたものと思われる。
安部公房1924年生まれ。父・浅吉が満州医大助教授であったため公房は生後8か月から満洲で育った。中学校を卒業後日本に帰国し、高校を経て東京帝大(現・東大)医学部に進学。入学当初は精神科医になるつもりでいた。
戦中は医学生であったので召集令状が届くのが遅く、敗戦が近いと聞いて満州の実家に戻り、そのころは開業医であった浅吉の手伝いをしていた時期に令状が届いたものの、入営前に21歳で終戦を迎えている。終戦した年の冬に満州では発疹チフスが大流行し、診療にあたっていた浅吉も感染して亡くなった。このとき公房もほかの家族もみな罹患した。
公房は翌年一家で引き揚げて大学に復学し、1948年に卒業したが、医師国家試験は受けず、以降、小説などの創作を発表しながら劇作への傾倒を深め、戯曲、ラジオドラマの制作などを経て、1958年に発表したのが本作「幽霊はここにいる」、34歳のときの作品である。同作で同年12月に岸田演劇賞を受賞。
初演で32、3歳の深川を演じたのは当時25歳の田中邦衛だった。1970年の再演の際にも37歳で深川を演じている(*1

あらすじと登場人物について

幽霊はここにいる - Wikipediaを参照してください

当時の物価について

初演の1958年頃は高度経済成長の初期であって(*2)、物価も著しく変化した時代なので、一概に「このころの100円は今でいういくら」とはいえないけど、昭和30年代当時の物の値段はおおよそ以下のような感じらしい。
・大卒初任給 11000〜13000円ほど
・山手線初乗り 10円
・新発売の日清チキンラーメン1袋 30円(*3
・生ビール 80円
・映画 150円
雑にいえば10〜20倍、なお本作の初演時の入場料は300円、上演台本が掲載された月刊誌「新劇」は厚さ5ミリ程度の冊子で100円だった。劇中で最初に買い取られる写真の値付けは250円であり、小遣い稼ぎとしてちょうど目がくらみそうな価格設定であることがうかがえる。
64年を経た今回の入場料は12000円なので、単純計算では40倍だ。演劇の価格設定基準はよく知らないけど、ははあ、往時に比べればけっこうしますね。
演劇の値段はどうやって決まるのか?
客を呼べる演者がいれば値段は上がるのだろうか?

構想について

「幽霊はここにいる」は、未完(または後半散逸)の未発表小説「人間修業」、戯曲「仮題・人間修業」を下敷きにしていると考えられている。
小説「人間修業」は、ある日突然自分についてくる幽霊に気づいた男と幽霊の物語で、幽霊には台詞がある。戯曲「仮題・人間修業」は自殺した幽霊が主人公で、幽霊は幽霊役の役者が演じる。どちらも、明確に「幽霊(姿は見えない)」と定義されている「幽霊はここにいる」と違って、幽霊はある種の実体をともなって造形されている。3作いずれも、筋書きは大きく異なるものの、「幽霊とは何か」を主眼とする点が共通していて、幽霊の後援会が出てきたり、幽霊が結婚しようとしたりする。
「仮題・人間修業」は上演はされず、「『仮題・人間修業』について」という反省メモが残されている。

幽霊の意味は人格ではなく、生きている人間の行動を拡大する、レンズの役目でなければならない。
安部公房「『仮題・人間修業』について」

「幽霊はここにいる」が、幽霊の存在を主軸におきながら、単なる怪談ではなく、その存在が価値を得て人間社会に侵食していく過程を描いていることについては、初刊本のあとがきにこうある。

ほとんどの登場人物たちの行動の情熱をささえているものが、愛でも正義でも理想でもなく、もっぱら金銭なのである。この幽霊と金という、いささか狂気じみた組合わせが、くりかえし私をとらえてはなそうとしない、テーマだったのである。
安部公房「幽霊はここにいる」あとがき

64年前の初演の時点では、実体のない商品は現代よりもはるかに少なかったはずで、そのことについては1970年の再演の際に安部公房がこういっている。

あの頃はむしろ、幽霊を商品として繁栄してゆくというのが信じられなかった。その面のリアリティは今の方がある。
安部公房「『幽霊はここにいる』再演」千田是也との対談

現代は再演時よりもまたさらに実体のない商品が増えている時代なので、いまこの作品を上演するということにも価値があるのだろうなとまず思った。


観劇後の感想

所感

なるほど、わからん
予習していっててよかった

舞台装置や見立てについて

ステージ床に設置された一段下がった円形の枠のなかに砂を敷きつめ、同範囲にぐるっと回せるカーテンを半周ちょっと吊るしてそれを回して転換する仕組み。カーテンなのでスクリーンとしても使えて、舞台奥からライトを当てることでカーテンの向こうにいる人物のシルエットを浮かび上がらせることができ、市民の姿が浮かび上がると不気味さがあってよかった。最初と最後には天井からステージ中央に砂が細く流れ落ちる演出もあり、全体に相当量の砂が使われている。
セットらしいセットはなく、最低限の机、椅子などを使って臨機応変に見立てをする。私は演劇をほとんど見たことがないもので、台本を読んだときにも、見立てみたいなものは何ひとつ想像せずに、ただリアルな場面をイメージしてしまっていたため、冒頭のシーンももちろん橋の上に深川が、橋の下に大庭がいると考えていたけど、深川が自分で椅子をセットしてその上に立つことで橋の上にいることを表すのを見て、舞台演劇ってこういうことができるものなんや!と思った(*4)。あと雨が、効果音だけでわりと簡単に降らせられるものなんや、ということにも驚いた。

市民の声のコーラス演出、音楽について

幽霊が商品価値を持ちだす、つまり市場に流通していく、という筋立てなので、その市場価値を評価する市民の姿が描かれなければならず、それをコーラスでやるという試みについては、「ミュージカルなどを意図しているのか」と聞かれた安部公房がこう答えている。

なにか物体としてのリズムみたいなものが、はじめから頭の中にあったのだけど……全体としてそういうものをわりに意識していますね……まァ、ミュージカルらしくないミュージカルというかな。(略)うんと日常的な卑近なものが、急にリズムをもってくるという感じがいいんじゃないかと思うんですがね。そういう意味では、とくに歌とか踊りとかが軸にはならないけど……。
安部公房「稽古場にてー安部公房・千田是也両氏にきく」

本公演ではアコーディオンを主体にした、思っていたよりだいぶ賑やかでかわいくて不気味な、ちょっと映画「ベルヴィル・ランデブー」みたいな雰囲気の、チラシの宣伝文句を借りれば「祝祭感」のある音楽がコーラスの伴奏をしていて、曲としてはクラシカルで華やかで好きやけど、私はもともと耳があまりよくなく歌詞を聞き取るのが下手なので、コーラスの歌詞はほとんど聞き取れなかった。座席によって聞こえかたは違うかもしれないけど、PA席(多分)は客席センターブロック最後列にあり、ほぼ同じ遠さ・高さで聞いているので、多分普通は聞き取れるんだと思う。
事前の想像では、木下順二の「群読」みたいな、ざわめきがリズムをもって反復されて、ヒタヒタと広がって増殖し大音声になっていく…というような雰囲気のものかなあ、あるいは逆にコントのブリッジみたいなやつかなあ、と思っていたけど、そこまで陰鬱な印象は受けず、まあまあ長尺の、どんどん裕福になっていく市民らしい浮かれた音楽で、想像よりは喜劇的だった

演出・演技その他について

・幕の区切りは第二幕11終了後に変更。それ以外は多分大体改訂版台本のとおり、一部省略などの改変はあり。

・ビラを貼られる電柱役の、ビラを待ち受けてそっとつまむ手が愛らしかった

・「事務」のシーンでの幽霊たちに対する深川の口上が歌と踊りで構成されて、神山さんが突然歌って踊るのでとても驚いた。私は深川が何をしゃべっているのかとか全然頭に入ってけえへんな…、それにしてもすごいダンスやなと思いながら見ていた。そのパフォーマンスに対して私たち観客が拍手をするので、そこから「皆さんの拍手が聞えるようです」につながって、あ、このピロティホールの客席の一人ひとりが、集まった幽霊に見立てられていたのだなあ、となり、なるほどなあと思った

・幽霊後援会の式典でも深川は客席に向けてあいさつをするので、ここでも客が、ぎっしり集まった幽霊が膝の上にも肩の上にも積み重なっていると言われる式典客に見立てられる、これも多分舞台演劇だとオーソドックスな演出なのだと思うけど、本当に演劇になじみがないので、その双方向性を新鮮に感じたし、おもしろいなと思った

・「事務」のような演出もあり、八嶋さんの味付けもあり、事前に勝手に想像していたよりは斜め35度ぐらいエンターテインメント側に倒してあった。その分、娯楽的見せ場を作りようのない、深川も大庭も不在の、ミサコと箱山だけのシーンは、見たまんまの直接的な芝居になるので、やりとりが結構長いのもあり、全体の流れとはちょっと雰囲気が違うけど、箱山の、俯瞰で見つつ遠ざかりすぎず抜け目ない感じも、ミサコの、行動基準や理屈が明確な感じも、奇矯な物語のなかにあってまともな倫理観で生きている人、客の見方を先導してくれる存在という感じでよかった

・ミサコの人間としてのまっとうさを実際に人が演じているのを目の当たりにすると、台本を読んだときにはそれほど気にならなかった、先生の自殺についての「彼(幽霊)が言っているけど今さら一人や二人死んだところで…」というような台詞など、深川がたびたび幽霊の言であるとしておぞましい発言をすることの人間味のなさが際立っておそろしいなあ、と思った。また神山さんが、明度が高くてクリアな、ややアニメ風でもある翳りのない純真な声で明朗にそれをいうのでなおゾッとした。
この深川の、話す内容には嘘くささしかないし幽霊の言としてほとんどの場合躊躇なく倫理観を欠いた受け答えをするのに人々に本能的忌避感を持たせず、最後の最後まで市民らに「なんなら嘘でもいい」ということを思いつかせもしない説得力をもった、まったく裏のなさそうな感じは、神山さんの仁(にん)なんやろなあというふうに思った

・大庭の持つハンカチは、台本を読んだ感じではどんどん大きくなっていくのかなと思っていたので、途中でサテンになったあたりで、材質が変わるのか、おもしろいなと思った。
ハンカチは台本でも「ばかでかい緑色のハンカチ」と書かれているものだけど、主演の神山さんのアイドルとしての「メンバーカラー」が偶然緑色であるために、本公演には原色のド緑色の服を着たりカバンや小物を持ったりしたお客さんも多く、その符合に、「これ(ハンカチ)に三十五円の値段がつくわけは?」というくだりも、「メンバーカラー」という特殊な記号をもつ職業であるところのアイドルとしての神山さんの値打ち、つまり神山さんのファンが神山さんに見いだしている価値の話をしているようにも思えておかしみがあるなと感じた。
ハンカチだけでなく市民らの服装もどんどん派手になっていくという演出が行われている。一度どこかのシーンで市民がずらっと並んだときに、一人、豪奢な格好になっていない人がいて、あれ誰だっけ、それもなんらかの寓意なのかなあ?と思ったけどわからなかった

・見えるものと見えないものの区別はつけづらかった。具体的な小道具はわりと用意されていて、パントマイムみたいなことをするわけではないものの(たとえばノートを繰るシーンはちゃんとノートを持っている)、やはりどうしても「深川だけに見えていて、その他の人には見えていない幽霊」の存在がある以上、「ないものをあると感じさせる」という作りになってもいるし、木を組んだものを積んで石段を表現したりと極端なデフォルメが行われているため、「劇中人物の目に見えているはずのもの」を次々に想像しないと話についていけず、見る側が勝手に景色を補完することにどんどん慣れていくので、特に幽霊服が目に見えないことがどういう意味合いのことなのかがわかりづらかった。
最初、ああ下着が幽霊服だという演出なのかな?と思い、裾をさばく介助役がいるのを見て、見えないのか、と思い直し、最終盤にファッション・モデル(女)に見えない幽霊服を着せ掛けるくだりで、やっぱり見えないのか、と再度思い、客に見えないだけで劇中人物には見えているのか、劇中人物にも見えていないのかがわからないなと感じた。
この点、あとからパンフレットの神山さん、木村さん、八嶋さんの鼎談を読むと、稽古中に市長役の伊達さんから「乾杯する場面をマイムでやっていたけど、見立てでもなんでもいいからおちょこのようなものが具象として存在してないと、幽霊という見えないものの存在が薄れてしまう」(*5)という指摘があったとのことで、これはまったくその通りであり(このシーンは白い紙コップのようなものを持ってやっていたと思う)、劇中人物にはどういう景色が見えているかというのが、そのへんきっと演劇鑑賞に慣れた人なら自分自身で補助線を引いて理解することができるものなのでしょうが、私にはわからなかった。大体のことがなんにもわかりません

・それでいうと、深川と幽霊が会話するのも、台本には幽霊の台詞はないものの、深川はずっと声を出してしゃべっているので、幽霊だけをカットした芝居が行われるのだと想像していたら、口パクの会話がちょいちょい行われていたのが意外に感じた

・台本を一読して、中盤(第二幕9)から深川がしばしば幽霊になぐられることが腑に落ちなかった。「もちろん幽霊はなににもさわれないし、壁もすり抜けてしまう」というような説明があったにもかかわらず、突如フィジカルをともなって深川をなぐるというのはどういうことか?このへんは、性急な大庭のやりかたに対する不安、あるいは自分にも生まれてきた欲望への狼狽の表面化、というのが主立った見方らしく、それがどういうふうに演じられているのかな、単にマイム的なおもしろさもありそうというのも楽しみにしていたけど、うん、なぐられてるなあ、痛そうやなあ、というのと、ミサコに「死ぬなら目の前で死んでほしい」と頼むシーンで、後ろからなぐられたり幽霊を押しやったり(*6)しているのを見て、ミサコに惹かれる気持ちが芽生えて幽霊と分離したい深川の気持ちが増幅していったこと、その反動的な動き、つまり離れようとしているからゴムが引っ張られてそれが引き戻されてバチンとしばかれているみたいなことなんだろうなというふうに納得ができた。
以降頭重をうったえてアスピリンを取りもどして最後に分離するまでずっとつらそうで、どんどんうわの空になっていく深川が、痛がっているのはシンプルに身の裡から拒絶反応を起こしているものなのか、幽霊になぐられているせいなのか、見ていて判断のつかない部分もあり、現実的には幽霊になぐられているわけではないので当然身体の拒絶反応だということになろうものの、「幽霊になぐられている」と認知している深川自身にとっても境界が曖昧になっていっていて、妄想が深川の身体をさらに蝕んでいく過程なのかなあ、と思った

・本物の深川が、あれだけ幽霊稼業が儲かっているのを目の当たりにしても何ら臆することなく躊躇なく乗り込んできて吉田を取りもどそうとするのが、突然出てきて世界が壊れるぶん、どうなんやろ?と思ってたけど、見るといかにも聡明で仲間思いで、深川がすでに正気を取りもどしながら詐欺ってる可能性などちっとも疑わずにやさしい声音で「迎えにきたよ」っていう感じで幕引きに出てくるのがとてもよかった。パンフレットを読むと演じた山口さんは「純粋に深川を救いたいという思い」で「この町で起こっていることについてもシンプルに馬鹿げていると思っているんじゃないか」といっておられ、あ〜そんな感じだったなあと思った。
本物の深川が吉田をちっとも疑っていないことで、二人とも同じ過酷な境遇にいたのに一人自分を見失ってしまった吉田の弱さと憐れさが補強されるように思った

・あれだけ徹頭徹尾大きな声を出して騒がしくハイテンションに立ち回っておいて、最後、幽霊稼業がもうできないと知って、吉田らのやりとりを聞きながら、狼狽するでも地団駄を踏むでもなくただ怒りと諦念をもって忌々しげにかぶりを振る大庭が、ただの物語賑やかしおじさんなどではなく苛烈な性質のなまなましい人間なのだという感じでかっこよかったです

・砂の演出は、砂そのものでもあるけど、最初と最後のシーンで登場人物に降りそそぐ演出や水筒からこぼれ落ちる演出からわかるように劇中基本的にずっと降りつづいている雨でもあり、生命の水でもあり、砂としては動きの自由を奪うもの、吹く風によって不随意に形の変わる、時代の流れとかの寓意、あと途中掘ったり八つ当たりで投げたりと、手ごたえのないものの象徴なのかなあ。
雨がよく降っているのもあってもうちょっとじめじめした感じの話かと思っていたから、砂がずっと存在するぶん舞台上の雰囲気はずっとカラッとしてもいて、あまりイメージは融合しないので、全然違うんかも

・思っていたよりは、ずいぶん「エンターテインメント」だった。今までの公演も見る手段があれば見てみたいな、と、どのようにも解釈のしようのある台本だなと思った

・思えば先に主要な配役を想定したうえで台本を読んで、実際の舞台を見に行くというのは、圧倒的に自分の想像の足りなさをいちいちつきつけられる作業であり、かつほんのすこしだけ「ああやっぱりここはこうなんだな」という答え合わせの気持ちよさもあり、予習したから話を理解できるできないとかは副次的な産物で、総じておもしろい経験だった。機会があればまたやりたい

その他についての雑感

・前回の観劇の際に隣の人が双眼鏡を持っていたので、そうか、双眼鏡を使ってもいいのか!と気づいて、最後列だし遠慮なく使ってよかろうと、いつも野球観戦で使っている双眼鏡を持参したところ、最後列からでも演者のつけているマイクが確認できる程度にはよく見え(*7)、ははあ、こういう楽しみかたもあるのだなと、主に下手の袖で演奏している楽隊のかたを覗き見したり、どうしても肉眼では見えづらい手持ち小道具の確認などをしたりした。楽しめました

・音楽は、楽隊のかたが舞台上にたまに出てくるシーンがあり、代表のかたが二人出てきているのであってきっと袖の奥にもうすこしいるのだろうと思っていたけど、パンフレットを読むとそのお二人で演奏していたとのことで驚きました(録音と生演奏どちらもある)。あの楽隊のピット、演者と同じ板の上だと思うしいろいろやりづらそうだなと思って見ていた(そっと座ったりしておられるのが見えた)

・初演の舞台写真を見ると深川(田中邦衛)はオーソドックスな白いシャツを着ており、今回の公演の深川がいかにも復員兵みたいな服を着ているのはなぜだろうと思った。ストーリー上は病院に入れられていた期間があり、終戦から少なくとも8年(*8)は経っているので、もうあのような格好をしていた時期でもなかったのではないかという気もするけど、最後のシーンのような演出を見ると、現代の観客にあえて「戦争」と地続きの話であることを強調するものとしてのあの格好なのかな?と思った(*9

・八嶋さんが田中邦衛の物真似(*10)をぶっ込んでいたけど、カーテンコールでの手拍子にピンときていない若い客の姿が見受けられ、田中邦衛がわからん世代もいただろうな…と思った。カーテンコールでの手拍子というのは八嶋さんが煽った、いわゆる「笑っていいとも!」のテレホンショッキングの「パン!パパパン!」であり、あの手拍子もいずれ大阪締めみたいに、「古い人間」だけがノー練でできる、失われた時代のいにしえの業みたいになっていくのだろう。私は何かっちゃ大阪締めするヤクザみたいな会社に勤めていたことがあるので大阪締めは完璧にできるが、反射神経がないので手拍子はできなかった

・正気に戻る前の深川が序盤に一箇所「おれ」というところは「ぼく」になっていた。独り言ちていうものなのであえて「おれ」にしてあるものかと思ったけど、違和感がないではないので、改められてもおかしくはないよなと思った。そのほか、時代がかった言い回しもすこし改められていたけど(*11)、「気違い」「アカ」などの表現や、伝わりづらいであろう「タタキ」「カタリ」「シケピン」などはそのままだった(*12

・大庭の台詞ではどうなっていたかちゃんと聞いていなかったけど、トシエが「資本」を「シホン」と言っていて、クラシカルな言い方だなとぼんやり聞いていた。確認したところ初刊本ではルビはないけど、全集の改訂版では一部で「資本」には「もとで」というルビが複数回ふられていたので、全部「もとで」と読むつもりで書かれたのではなかろうか?でも脚本なのにルビと漢字が全然違うのも何だかなと思った。そんなん伝わらないじゃないですか

・ラジオがテレビになっていた。演出上、深川とお偉方の姿を見せるので、テレビであっても不思議ではないけど、ミサコの「聞いたわ」は「見たわ」ではなく「聞いたわ」のままだった。ラジオだと椅子だけでなくマイクの載った机が必要になるのかな?

・本物の深川が名刺を出しながら「深川です」と言ったような気がするけど、そのとき私はミサコがややもたつきながらポケットに受話器(*13)をしまっているのを気にしており、聞き流してしまった。聞き違いなら申し訳ないけど、もしあのシーンで本物の深川が深川を名乗ったのなら、どういう意図があるんだろうか?
そして受話器、ポッケに入れる、斬新すぎん?気になるので客席から見える左のポケットではなく右のポケットに入れてほしかったな

ファッション・モデル(女)がものすごく島田珠代風だったが、あえて島田珠代風に演じているのか、たまたま島田珠代風なのか、たまたま…たまたま辿り着けるか?島田珠代に?

・確か幽霊後援会の式典の直前に、砂の載った布をめくって赤い床をむき出しにするシーンが挿入されていて、敷かれている砂の量が多いのがよくわかり、「この砂を公演後にビンに詰めて売れば、記念品としてめちゃめちゃ売れるのでは?」と思いながら見ていた

・場内を占めている多くの客がおそらく演者のファンであり、ステージと客席の間に、緊張と同じぐらい馴れ合いの空気を感じた。多分私の思うよりはるかに多くのリピーターが来場しているのだと思う。ほとんど演者のファンにしかリーチできないキャパシティで、1公演も見られない人がいる一方でリピート鑑賞も受容した興行を打つということ、上演中特定の演者がストーリー展開にかかわらず一部の客の視線をずっと集めるのであろうことを、カンパニーの構成員はそれぞれの立場でどのように受け止めているのだろうか、ということを、前回の観劇からずっと考えている


幽霊とは何か

大庭  (略)買えば三十五円の品物だ。とにかくそれだけの価値があるんだよ。しかし、なぜだね?なぜそんな値打ちがあるんだね?
ミサコ きまってるじゃないの、材料費と工賃よ。
大庭  馬鹿な!(略)いいか、これが三十五円の値打ちがあるってのはな、ほかでもない、これに三十五円はらってくれる人間がいるからさ。物でも人間でも、値打ちってものはな、他人がそれにいくら支払ってくれるかできまっちゃう(*14)ものなんだ。金を払うやつがいりゃあ、それが値打ちになる……(略)
ー「幽霊はここにいる」第一幕3

何の価値もない死人の写真に、それをほしがる人がいることではじめて値段がつき、値段がつくことで市民の間に「これは価値のあるもの」という認識が新たに生まれて流通していく。「幽霊はここにいる」における幽霊はこの大庭の弁のような価値観を下敷きにした「商品価値」のメタファーである。この構造は資本主義の模型みたいなもので、安部公房は、

直視すれば、グロテスクな世界なんだが同時にひじょうに、日常的であたりまえのことなので、人々は気づかずに暮らしている。
安部公房「稽古場にてー安部公房・千田是也両氏にきく」

といっているので、資本主義批判というか、少なくとも皮肉ではあるのかな。このグロテスクさは本公演でもコーラスやシルエット、あるいは決まった形を持たずに場を埋め尽くして体の自由を静かに奪う「砂」によって不気味さが表現されていて味わうことができた。
物に値段がつく原理は何か、商品価値の本質ってなんなのか、まして実体がないものであれば、何にお金を払っていることになるんだろう。誰かがそれをほしいと思うその感情に値札がつくんだろうか、だとしたらその商品価値はそれを見いだした消費者の内側にあるんだろうか。たとえば今回の公演の入場料が12000円するのは、その値段でもほしい(見たい)と思う人がいるからなのか。そうではなく逆に、12000円という値段をつけることで、「きっとそれなりの価値のあるものなのだろう」と思ってしまうのだろうか。演劇は実体のないものではないけれど、金を払っても持って帰れるものはパンフレットぐらいのものだ。だとしたら客は何に金を払っているんだろうか。自分の経験と感情に金を払っているんだろうか?金と引き換えに何を手にするのだろう?

そういったことを思えば、私がなんとか12000円分楽しんでやろう、噛(しが)みつくしてやろう(*15)と、12000円払ったからというさもしい理由で、準備してから見に行くことを決めて、3時間集中して観劇して、なおこの文章を書いて自分の得たものを見返して、書き残そうとしていること、この作品に値打ちを見いだそうとしていることこそが、安部公房の考えていた「幽霊」の作用といえるんやろうなあ、と考えた。私も幽霊に金を払ったのだ。


本編以外についての感想

休憩について

休憩時間の便所列さばきのオペレーションが凄い。

一幕と二幕の間に休憩時間が20分あり、座席が最後列で真後ろが出入り口だったので、すぐ出たら余裕で帰ってこられるだろうと思ったら、最後列出入り口は2階にあり、2階にはトイレがなく(あったのかもしれないが、あったとしたら見落とした)、階段を降りて1階トイレに向かったところ1階出入り口から出た人の列がすでに100人ほどになっていた。わあ、出遅れたなと思ったら、列の7、80人目ほどまで進んだときに係員のかたが「ここから50名、地下のトイレにご案内します。階段の昇り降りができるかたはお越しください」というので、多分そのまま並んでも大した違いはないのだけど、地下の階か!見てみたいな、と思い、中抜きされた列に連なってありがたく案内を受けた。
地下階へはバックヤードにつながる関係者入り口を通る必要があり、その入り口でラミネート加工した番号カードを「お帰りの際に回収します」と渡され(*16)、遺跡展示室の前を通りすぎて、スタッフ用と思われるトイレに案内された。そのトイレ前で待っている間にもキビキビとインカムで「地下女子トイレ追加20」などの指示が出されており、「待ってる人がめちゃめちゃいるから速攻で用を足して戻れ(大意)」との声掛けが絶えず行われ、個室扉(開け閉めしづらい折れ戸)に膝がつくほど狭い便所で急いで用を足した。短い休憩時間、動員可能なすべての係員が便所列さばきに動員されているのだろう、何としてでも20分以内に希望者全員に用を足させて、つつがなく二幕をはじめさせるぞ!という気迫を感じるオペレーションだった。
なお用足しの帰りに物販コーナーの前を通ると、開演前には何十人も並んでいたので帰りに買えばいいやと諦めたパンフレットが休憩時間中も売られており、しかも客が1人もおらず、思わず近づいて「いま買えるんですか!?」と聞いたら「はい!1冊ですか?2500円です!」とテキパキご対応くださり、並ばずノータイムでパンフレットを買うことができた。これもとてもびっくりしました。休憩はパンフより便所だよね、わかるよ

パンフレットについて

ギルバート(*17)の頭を叩き割りたくなる硬さ。何でこんな読みづらい硬さにしてしまうんだろう、演劇のパンフレットは硬さが正義なんですか?
本公演の宣伝ビジュアルは、小説「人間修業」にも幽霊と実世界との邂逅と融合を指す表現として出てくる「二重写し」がテーマなのだと思うけど、その二重写しになっている神山さんの写真がとても良い。深川と幽霊の対談は、安部公房が「人間修業」を経て今作の幽霊を声も姿も持たない純然たる強烈なマクガフィンとして造形したことを思えば、これはやや蛇足なのではないかな…と感じた。八嶋さんにもっと話を聞いてほしかった

座席について

事前に検索した限りでは「ピロティホールの椅子は座り心地が悪い」とのことで、やや不安だったが、実際座ってみても健康な腰ならとくに不都合はない、立派な座り心地の椅子だった。考えてみたら甲子園の外野席で4時間座ってられる人間に座れない椅子もないだろう。ただ座席幅はやや狭く、これは横浜スタジアムの内野席ぐらいの圧迫感。
最後列のため、振り返れば立ち見スペースがあり、床に貼られた立ち位置指定貼り紙が見えたが、これも座席幅ぐらいしかなく、そんなん身じろぎしても隣の人に当たるやんと驚いた。立ち見は相当ガッツが要る。
カーテンコールで八嶋さんが立ち見客のみなさんをねぎらっていたのがよかったな。あの一言があるとないとでは、立ち見のみなさんの思い出の温度が劇的に違ってくるのではないかと思った


(会場への道すがらにあるモスバーガー。中高生のころにちょいちょい利用していた店舗で、「まだあるんや!」と思わず写真を撮った)


文献リスト

「幽霊はここにいる」の主な発表・刊行媒体

※本記事の典拠は★マークの2点
雑誌「新劇〈1958年8月号〉」白水社、1958年…初出誌。3段組でやや読みづらいが、雑誌なら1記事全部を図書館で複写することが可能なので、本作の古書価格が軒並み高騰している現状では一番安価かつ容易に入手できるテクストといえるかも。同誌は前月に行われた公演の舞台写真を巻頭に掲載する体裁になっており、「幽霊はここにいる」も翌月号(9月号)に3枚の舞台写真((1)ヒカリ電気商会での深川と大庭一家のシーン、(2)ファッションショーのシーン、(3)幽霊会館治療室で主要人物が出て行ったあと女性モデルを囲んでいるシーン)が掲載されている
★安部公房「幽霊はここにいる」新潮社、1959年…初刊本。単独収録のため1段組で組版に余裕がある。作者あとがきを収録
伊藤整・他/編「日本現代文学全集 講談社版 第103 田中千禾夫・福田恒存・木下順二・安部公房集」講談社、1967年…実物に当たっていないのでわかりません
「安部公房戯曲全集」新潮社、1970年…実物に当たっていないのでわかりません
安部公房「幽霊はここにいる〈改訂版〉」新潮社、1971年…初出バージョンに加筆修正を加えたもの。実物に当たっていないのでわかりません
安部公房「幽霊はここにいる・どれい狩り」新潮文庫、1971年…「制服」「どれい狩り」併録。清水邦夫による解説を収録。多分改訂版が収録されているが、実物に当たっていないのでわかりません。今般の公演発表に伴い市場価格が暴騰し、2023年1月時点の底値が大体5000円。そのうち値下がりするはずなので、何もいま買わなくてもいいと思う
★「安部公房全作品 9」新潮社、1972年…「少女と魚」「制服」「どれい狩り」「永久運動」併録。別冊付録にドナルド・キーンらによる小論を収録。改訂版を収録
安部公房・島尾敏雄「現代日本文学 30 安部公房島尾敏雄集」筑摩書房、1980年…実物に当たっていないのでわかりません
「安部公房全集 008 1957.12-1958.06」新潮社、1998年…編年の全集のため初刊本版を収録。その他演出家千田是也との合同インタビュー「稽古場にて」、初演時のパンフレットが初出の「作者のことば」、黛敏郎による一部楽曲の譜面を収録
藤木宏幸・他/編「『戦争と平和』戯曲全集 第9巻」日本図書センター、1998年…実物に当たっていないのでわかりません

そのほかに今回参照した評論・インタビュー等

安部公房「作者のことばー『幽霊はここにいる』」「安部公房全集 008 1957.12-1958.06」新潮社、1998年 *初出=俳優座第44回公演「幽霊はここにいる」パンフレット、1958年
「稽古場にてー安部公房・千田是也両氏にきく」(インタビュー)「安部公房全集 008 1957.12-1958.06」新潮社、1998年 *初出=俳優座機関紙「俳優座〈第30号〉」俳優座、1958年
*18
「『幽霊はここにいる』再演」(安部公房と千田是也の対談)「安部公房全集 022 1968.02-1970.02」新潮社、1998年 *初出=俳優座機関紙「コメディアン〈No.214〉」俳優座、1970年
武田勝彦「外から見た安部文学 6『幽霊はここにいる』論」「安部公房全作品 9」別冊付録、新潮社、1972年
村上也寸志「虚構の世界へ誘導ー『薔薇と海賊』と『幽霊はここにいる』」「『戦後』の終焉ー演劇と青春とー」はる書房、1991年
吉田永宏・桑原真臣「安部公房主要著作解題」雑誌「ユリイカ〈1994年8月号〉」青土社、1994年
扇田昭彦「『幽霊はここにいる』ー千田是也との共同作業」雑誌「國文學〈1997年8月号〉」学燈社、1997年
*19
安部公房「人間修業」「安部公房全集 007 1957.01-1957.11」新潮社、1998年
安部公房「仮題・人間修業」「『仮題・人間修業』について」「安部公房全集 008 1957.12-1958.06」新潮社、1998年
高橋信良「鏡の中の鏡 : 安部公房の演劇論(II)「言語文化論叢 5巻」千葉大学外国語センター、1999年
由紀草一「安部公房『幽霊はここにいる』」日本演劇学会・日本近代演劇史研究会/編「20世紀の戯曲 2 現代戯曲の展開」社会評論社、2002年

木村陽子*20「死者は死んでいる 『幽霊はここにいる』に至るまで」「演劇映像学 2011第3集」早稲田大学演劇博物館グローバルCOEプログラム「演劇・映像の国際的教育研究拠点」、2012年
木村陽子「死者との同化からマルクス的幽霊へ 『制服』から『幽霊はここにいる』への更新」鳥羽耕史/編「安部公房 メディアの越境者 (メディアとパフォーマンスの20世紀)」森話社、2013年
「安部公房さん、深川はめっちゃピュアですね」(神山智洋インタビュー)読売新聞2022年11月30日夕刊、2022年


付記

本編と全然関係ないこと
多分20年以上前、八嶋さんが運営していたケータイサイト「眼鏡王子」をよく見ていて、掲載されているエッセイを楽しく読んでいたのですが、あるときエッセイのなかに「生駒山に沈む夕日を眺めながら」という文章があって、ひっくり返ったことがありました。大阪と奈良の県境にある生駒山は、大阪府民にとってはお日さんの昇る山なのです。奈良では生駒に夕日が沈むんや…、と、めっちゃ当たり前のことにめっちゃ驚いた、忘れられない思い出です。今回の観劇とは全然関係ない話ですが、別にオチもなくて誰にも話す機会がないのでここに書きました。八嶋さん、その節は閃きをくださりどうもありがとうございました
次回
小瀧さんのミュージカルのチケットを買ってあるが、本作のコーラスのように短い曲の歌詞を聞き取れなかった人間にミュージカルナンバーの歌詞が聞き取れるものか不安になっている



舞台「幽霊はここにいる」
https://stage.parco.jp/program/yuurei
2022年12月8日~26日 PARCO劇場
2023年1月11日~16日 森ノ宮ピロティホール
(全34公演)
作:安部公房
演出:稲葉賀恵
出演:神山智洋/八嶋智人/田村たがめ/木村了/秋田汐梨/堀部圭亮/真那胡敬二/福本伸一/伊達暁/まりゑ/稲荷卓央/山口翔悟/名越志保/白木美貴子/竹口龍茶/長尾純子/カズマ・スパーキン/友野翔太/きばほのか/須賀田敬右
*21
企画・制作:株式会社パルコ



※脚注は番号を押すと本文の同箇所に戻れます。

*1:さらにその5年後の安部公房スタジオでの公演では"まる竹"を演じた

*2:「もはや戦後ではない」が1956年

*3:発売時は35円、数年後値下げして30円になった。これは当時としてはやや強気な値段設定であったとのこと

*4:パイプ椅子を連ねてジェットコースターを表現したりするのは見たことがあったけど、その作品はダンス的な身体パフォーマンスも兼ねている感じだったので、なんとなく特殊な演劇なのだろうと思っていた

*5:本公演パンフレットp82

*6:台本では押しやるのではなく「幽霊が窓ぎわに行った」となっている

*7:私の双眼鏡は祖母が数十年前に新歌舞伎座北島三郎を見に行くにあたって商店街のカメラ屋で1万円ほど出して購入したのを、もう使わないからと譲り受けたもので、倍率などはわかりません。野球観戦でいえば京セラの外野席からだと打者の表情までははっきりとは見えない程度のもの

*8:大庭が雲隠れしていた期間。ただし契機となった事件が明白に戦後のものかどうかは言及がないので、それが戦時中のことであればもうすこし時代設定が早い可能性はある

*9:1998年の新国立劇場串田和美演出版の衣裳も国民服のようなものを着ている。参考:幽霊はここにいる | 舞台写真・公演記録 | 新国立劇場 https://www.nntt.jac.go.jp/enjoy/record/detail/37_004858.html

*10:どちらかといえば田中邦衛の物真似そのものというよりは田中邦衛の物真似をする小堺一機の物真似のような感じのもの

*11:ミサコの「おそくも明日の午後には…」が「おそくとも明日の午後には…」になるなど

*12:私の思い違いでなければ、「タタキ」は強盗、「カタリ」は詐欺師のこと、「シケピン」は「時化ている(金回りが悪い、ケチくさい、しょぼい)」に「素寒貧(すかんぴん=文無し、お金がない)」を掛け合わせたニュアンスの言葉、つまり「諸事情あって懐が寒い」という意味だと思う。そういえば「しけてんなァ」などの言い回し、聞かなくなりましたね。大阪ではもともと聞かない言葉だけど、テレビドラマなどではよく聞いた

*13:受話器だけを持って電話の通話の演技をするのだが、一見スマホを持っているように見えてぎょっとした。それは演出上あえてやっていることかもしれない

*14:改訂版では「きまってしまう」

*15:噛む(しがむ)というのは、味がなくなるまで噛んで吸って噛みしめて味わいつくすというような意味合いの関西弁

*16:便所に隠れたのちにバックヤードに忍び込むような輩を出さないためにだと思う

*17:赤毛のアン

*18:本公演のパンフレットにも再録されている

*19:由紀草一「安部公房『幽霊はここにいる』」において引用され、初出が雑誌「ユリイカ〈1994年8月号〉」であると記載されているが、同誌には本稿は掲載されていない。ユリイカに版違いがあるのか、単に誤りなのかはわかりません

*20:本公演のパンフレットにも寄稿している

*21:アンダースタディ。一部公演でカズマ・スパーキンの代役として出演