場外

para la calle

もう二度と帰らない日々/ミュージカル「ザ・ビューティフル・ゲーム」感想


公演について

チケットについて

S席14000円、A席9000円、B席4500円とのことなので、見切れるわけでもなさそうやし、と迷わずB席を購入。3階席。
前回前々回に鑑賞した舞台に比して、キャパシティや公演数の違いもあるのか、やや売れ行きがゆるやかだったようで、一般発売で購入できた。どういう界隈のエンターテインメントであっても、買いたいと思ったら買えるぐらいがいいよな、と思う

劇場について

梅田芸術劇場メインホール。はじめて行った。劇場前の案内スタッフのかたが、迷っているお客さんに「この下(地下)です!あそこから入って、ここの真下に行ってくださいね!」と呼びかけていて、地下にも劇場があるのかあ、なに演ってるんだろうな、と思ったら同じ建物のシアター・ドラマシティで吉田鋼太郎監督による小栗旬主演のシェイクスピア作品を同日ほぼ同時刻に上演していたらしい

観劇の前に

前回の観劇の際ちょっと事前準備をしたことにより「答え合わせに行った」感があったなと思ったので、その反省をふまえて、今回は予習はやめようと思っていたのだけど、公式サイトを見ると、パンフレットに「これだけは知っておきたい作品の背景」というコラムが載っているという。
えっ、じゃあ早めに行ってパンフレットを買うか、しかし買えなかったら「これだけは知っておきたい」を知らないまま見る羽目になるのだなと考えて、Wikipediaで本作のページの概要部分と北アイルランド問題のページ、あと1969年からストーリーがはじまるというので1969年の出来事のページを見ていたらOperation Bannerというページへのリンクがあったから、このへんなのかなあと思ってそのあたりに一応目を通した。作品のシノプシスは読まないようにした。
でも、まあ、「これだけは知っておきたい作品の背景」と言うならそれを掲載したペラを入場時に配るか、サイトに掲載するかしてくれたら助かるねんけどな~、と思います、私は

結果的には観劇前にパンフレットを買ってコラムも一読することができ、観劇して、うーん、たしかにこのコラム読んでれば足りたな、と思った

タイトルについて

タイトルに用いられた「The Beautiful Game」はサッカーの王様ペレが提唱したサッカーの愛称らしい。サッカーの、というよりはブラジルサッカーのフェアプレイ精神やスポーツマンシップを喧伝する言葉に近く、広く知られるようになったのは1970年のワールドカップでのブラジル代表の活躍以降、またはペレが1977年に発表した自伝のタイトルに使われてからで、本公演の公式サイトのあらすじのページでは「ここで暮らすサッカーを愛する人々は、試合を『ザ・ビューティフル・ゲーム』と呼ぶ。」と書かれているが、劇中の時代の北アイルランドで単にサッカーを指す言葉として実際に巷間使われていたかはさだかでない

ぜんぜん関係ないけどアメリカでは野球に「National Pastime(国民的娯楽)」という愛称がある。競技時間も長いし試合数も多いからな、おそろしく時間をとられるし、pastime(暇つぶし、時間泥棒)と言われたらまあそうかもしれないね


本編についての感想

内容について

・最初こそ「わっ!ほんまに歌い出した」とムズムズしながら見ていたけど、一幕のサッカーのシーンがすばらしく、そのあたりから物語に入っていくことができた。大久保嘉人さんの監修が入っているそうで、ステージパフォーマンスとしてももちろん成り立っていて華やかで、でもサッカーを全く知らない人間にもきちんと試合として伝わる熱さと美しさがあった。残念なのはサッカーのシーンが1度しかないことで、えっ、サッカーやらんと終わっちゃうんですか、という食い足りなさがあった。
ほんでジョン、足ほっそ!あとジーンズ履くシーンでびっくりしたけど足なっが!小瀧さんは、アスリート役にしてはものすごく華奢だけど、3階から見ていても、柄(から)というのか、骨格が大きくてステージに映えるなあと感じた

・ジョン(小瀧さん184cm)も大きいがトーマス(東さん190cm)はさらに明らかに大きい。甘ちゃんのジョンと峻烈なトーマスという対比のうえではトーマスが大きいのは見栄えがよく、このキャスティングはよかったな

・ヒロインのメアリーを演じた木下さんをはじめとする女性キャスト陣が、細身の体から出ているとは思えない力強い歌声で、とにかくすばらしく、なん…これ…もう主役メアリーちゃうの?メアリーと女たちの話とちゃうの?と思った。演技は良し悪しはぜんぜんわからないけど、歌はシンプルに、うまいな~!ええ声やな〜!となるので、ミュージカルというのはそういうところが気楽でもあるな、と思った。男性キャスト陣もよかったんですけどね

音楽について

・ミュージカルに不慣れなもので、音楽はやや単調に聞こえる部分も多く、これは英語詞に比べて1音に載せられる音がすくなく、さらに1モーラに載せられる意味もすくない日本語詞の不利さに起因する印象なのかなと思った。たとえば英語なら「what a beautiful game(なんて美しい試合)」という歌詞の載るメロディーでも、日本語だとメロディーによっては「この試合」程度しか言えない。台詞に近い歌詞のときには特に、どことなく音と音の間が、つまり台詞が間延びしてしまうような印象を受けた。日本語ミュージカル、特に翻訳作品は難しいんだろうな~と感じた。慣れてきたら、むしろその限界までそぎ落とした言葉を日本語ミュージカルの醍醐味として楽しむこともできるのかも。ただ言葉がすくないその分、懸念していたような「歌詞がぜんぜん聞き取れん」ということがなかったのはよかった

・でも意外に、ミュージカルでも、決め台詞は歌ではなく台詞なのだなあと思った。「勝つために戦っているのではなく勝たせないために戦っている」とか、たくさんパワーワードがあったけど、やっぱり写真を渡すシーンのメアリーの台詞がとても印象に残った

ストーリーについて

・ストーリーは、なんというのか、もちろん劇中の人間はそれはそれで真剣に生きているのだが、特にジョンは、私の頭のなかのノブが「行かんのかい」「やらんのかい」「行くんかい」「謝るんかい」「行くんかい」「やらんのかい」「帰ってくるんかい!!」と言いたくなるような行動しかしてくれないので、ミュージカルでよかったな、これがストレートプレイだったら腹立つだけのような気がするな。ものすごくガサツにいえば「サッカーバカの少年が地元のツレのせいでパクられたあげくブタ箱で悪いやつらに感化されて極道になりかけるものの、愛の力で道を踏みはずさずにすむ話」なので、私の頭のなかの大悟がずっと「阿呆!」と声を荒らげているのだがそれが力強い歌でうやむやに…うやむやというわけじゃないけど、なんだろう、エンターテインメントとしておもしろかった。
ジョンはもう本当に、ちょっとサッカーが得意なだけの、実直で、善良で、なのに集団のなかに入ると「おれはやれるぞ」と気持ちが大きくなってしまうのかな、影響されやすく、そんなに物事を深く考えていない、場当たり的な、普通の、ただの少年なのだ。
あとから公式サイトを見返してみると小瀧さんが「ジョンという男は、余計な計算やずるがしこさはなく、まっすぐな目が印象的。とにかくまっすぐ。賢くはないけど、自然と周りに人が集まってくるタイプの人間なんだと思います」とコメントしておられ、そうなんよね、ジョン、あんまり賢くないんよね…と、しみじみ思った

・残念ながら私も賢くないもので、ジョンはIRAに入ったのに何で同じIRAのトーマスにカチコミに行くねや?と首を傾げてしまったのだけど、あとから考えれば「裏切り者トーマスの粛清(いわゆるパージ)」がジョンの最初の仕事だということなんですかね、だったらジョンはトーマスを撃てなくて、どのツラさげてIRAに合流するつもりだったんだろう?
ジョンは自分が撃たなくてもトーマスがどのみち粛清されることは理解していて、トーマスももちろんジョンに命乞いしたところでジョン以外が粛清に来ることを悟っているわけで、考えてみればあのシーンの2人は、どっちに転ぼうとも双方ともに詰んでいるのだ。なのに撃てないジョンの甘さと、ジョンに撃ってほしかったのかもしれないトーマスの悲哀、というものをわかったうえで見たかったシーンだったな、と、あとから思った

・と考えると結局のところジョンはトーマスを粛清できなくて「おれはIRAでやっていけるのか?」という迷いが生じたところに写真を見て里心がついただけなんじゃないのか、とも思え、まあ、でもそれが、一度でも愛した親友が思いとどまらせてくれたのだとも言える…のかな…、「この憎しみの連鎖を止められるのは、愛だけ」というキャッチコピーが本公演にはついているけど、その愛ってトーマスに対する愛なんだっけ?ジョンにいちばん愛されてたの、メアリーでもサッカーでもなくトーマスじゃなかった?という「?」が残った

・若い世代の苦難を描いているので仕方ないかなと思うものの親がぜんぜん出てこず、ほぼ存在感がないのがどことなく気持ち悪かった。オドネル神父がその役割を1人で引き受けているとも言えるけど、紛争が次世代に持ち越されることが劇中でも語られるので、紛争前夜のベルファストを知るはずの親世代からの流れ、という視点も知りたかった。そういうのがない分、エンターテインメントに振り切った作品だなという印象を受けた

宗教について

北アイルランド問題は、ただ対立している人たちがたまたま違う宗教を信仰していた、ただしその信仰の違いがわかり合えなさを増幅させたもので、宗教戦争ではないけど、私はプロテスタントの学校に通っていたので、カトリックよりプロテスタントの人に多く接してきたこともあって、どちらに正義があるのかとかは関係なく、どうしてもプロテスタント側になんとなく気持ちを寄せて見てしまう部分があり、本作でもチームで唯一のプロテスタントであるデルが気になった。
プロテスタントは、たとえば絵踏み(踏み絵)を強要されても踏めるし、そんなことでみずからの信仰心は汚されないし、神はゆるしてくださると信じている、なんなら信仰は揺らがないということを証すためにあえてすすんで踏みに行くぐらいの宗派だと思うのだけど(信仰は人によるので全員がそうということもないと思うけど、ただ私の接したプロテスタントはそう言っていたし、全体的な雰囲気としてはそういう感じだということ)、だからデルがカトリックにつっかかられて、何度も「おれは無神論者だ」とつっぱねるのも、これはおそらくこの町でいさかいを起こさずに生きていくためにデルが身につけてきた処世術であり、その根幹にはやはり信仰心があり、本当に無神論者なわけではないのだと思う。そして、そういう処世術がとれてさえなお、あるいは信仰心があるがゆえにそういうことができるからこそ、好きなサッカーのためにでも、愛する妻と子のためにでも、より楽にその町で生きられるはずのカトリックへの改宗という道をとることもなく、みずからの信仰は捨てられず、自由の国へ行く。デルはおそらく移民の家系だから国を捨てる決断も選択肢として持てたのではないかなあと思うけど、それを「逃亡」と言われてしまうこともつらいなあ、と思って見ていた。
そのほかのカトリックの登場人物の描かれかたにそこまでの敬虔さを感じなかったこともあり、デルの、人には見せないことでむしろ浮かびあがる信仰のありようが心に残った

・意図されているものか、あるいは単純に実際アイルランドに多い名前なのかはわからないけど、主要登場人物の名前の多くがキリスト教由来であり、いかにもカトリックの家に生まれましたという名前なので、キリスト教圏の人にとっては名前だけでどういう人物か、「最後まで生きのびる人」とか「思い込みが激しく、仲間をも信じられない人」とか「夫なしに子供を産む人」とかの記号的な意味合いを想起する、寓話的な部分もあるのかもしれないな、と思った

紛争について

・開演前や幕間でセットの壁に照射されているグラフィティのなかに「NOT A BULLET NOT AN OUNCE」というフレーズがあり、どういう意味なのかなと思ってあとで調べたところ、これは1998年の和平合意以降にベルファストリパブリカン地域のほうぼうの壁に書かれた、兵器廃止措置(武装解除)への反発を意味するスローガンであるとのこと。つまり劇中の時代に書かれていたものではなく、初演の2000年ごろのベルファストの日常的な光景だったのだろう。初演当時にもまだIRAは兵器を放棄しておらず、武装解除が完了したのは2005年。めちゃめちゃ現在進行形の時事問題をミュージカルにしたのだな、とあらためて驚いた。
「Not a bullet, not an ounce」、直訳すれば「銃弾ではない、1オンスではない」だけど、「not an ounce of」で「すこしも~ではない」という意味だそうで、「武器なんかない」「単なる武器なんかじゃない」というようなニュアンスの言葉なのかな?調べきれなかったので、ご存じのかたがいらっしゃったら教えていただけると嬉しいです。
もしそういうニュアンスであるとするなら、これはただの銃弾ではない、ただの暴力ではないのだ、自分たちの未来を生み出して守っていくために必要な正義なのだと信じていた人たちの言葉だったのかなと思った

・最後にジョンは戻ってくるけれど、自分の手を汚さずに帰ってきたとはいえトーマスを救うこともゆるすこともできなかったという意味では手を汚したのと同じぐらい罪を背負ってしまったわけで、無辜のまま戻ってきたとは到底言えず、ぜんぜんただのハッピーエンドではなくて、失われた人生は戻ってこないし、ショーンが大人になっても争いは続く。紛争がなければみんなベルファストに生まれただけの普通のサッカー少年でいられたはずだった。もう二度と帰らない日々だからこそ写真のなかでだけ美しく輝いている、だから“The Beautiful Game”なんだろうなと思った


そのほかの些末な感想

・ステージ上にいろんな色・サイズのバミリがめちゃめちゃいっぱい貼られているのが、3階席からだからよく見えたのだけど、全てのバミリがこの作品のためのものというものでもなさそうで、公演ごとにきちんと剥がしたりしないものなのかな?と不思議に思った。そういうものですか?それともやはり全部この公演のバミリだったのだろうか?

・特にソロが終わったあとに拍手があり、あ、ミュージカルは拍手するもんなんや、とびっくりした。でもお笑いで言うところの「笑い待ち」というか、拍手をもらうための代(しろ)が設定されていないところもあって、曲によって拍手するんかせえへんのかぜんぜんわからんかったので、まわりを見て空気を読みました

・休憩時間に、近くの席の若い女性のお客さんが「結婚式のシーンだけかと思ってたけどさ、めっちゃチュッチュすんなあ!」と話していて笑ってしまった。なあ!

・神父の乳首ボケが浮いてたのがもったいなかったな〜!

・こんだけ書いといて何なんやけどいちばんかわいかったのはダニエルだし、結婚するならグレゴリーがいいと思う。グレゴリーは「おれ、この戦争が終わったら結婚するんだ」レベルのフラグをきちんと立てたうえで物語から退場するので、心構えはできるのだけど、とにかくやるせない。見る目のあるバーナデットにはまたあたらしい幸せをつかんでほしい


本編以外についての感想

パンフレットについて

硬くない!読みやすい。薄い。2000円。ところで美術展に行くと大体2000~3000円ぐらいで常軌を逸したボリュームの図録が買えるじゃないですか、それを思うと演劇のパンフレットは、部数が違うといったらそれまでやけど、やや割高だなあ、と感じる。
あと、本公演に限らないけれど、公演当日の劇場には公演チラシが残っていないことがほとんどのようなので、パンフレットにチラシを掲載、綴じ込み、または同梱していてくれるといいのでは?と思いました。チラシを大量に持って帰ってフリマサイトで売るようなタワケ者もすこしは減り、パンフレットの売上にもすこし寄与するのではないかな。演劇関係者のみなさん、どうぞご検討ください。観劇の記念にほしいよね、チラシ

3階席について

1階の人が14000円払っているところを4500円の3階でええやろというのんきな人が来ている、ということもあってか、なんとなくのんびりと観劇しているお客さんが多いように見受けられ、雰囲気がよかったです。場内は縦に長い寸胴のようで、3階フロアはかなり高い位置にあり、座席は京セラドーム大阪の上段席ぐらい傾斜がきつく、舞台は遠いけれども、どの席からでも見やすそう。あと席数がすくないことで同階のトイレの混雑もさほどでもないのがよかった。ただ、椅子、座り心地は悪くないのになぜか大変おしりが痛くなり、クッションがある椅子でこんなケツ痛なることある!?と思った


付記

今回、サッカーの話だというので、まあそうだとしたって「ハハハ、バカめ!それはオフサイドだ」みたいな話ではなかろうとは思ったものの(※オフサイドの意味は知りません)、サッカーはもう全く知らないので、ちょっとぐらい雰囲気を理解していたほうがいいんじゃないかと思って、11月にサッカーを見に行った。
私はプロ野球ファンなので、何年かまえから、ただただ野球観戦にフィードバックするために「プロ野球のシーズンオフに野球以外のスポーツを年1回観戦する」というのをルーティンにしていて、1年目にラグビー、2年目にバスケットボールを見に行ったところで、社会情勢上、数年の中断を挟まざるをえなかったのだけど、このオフは大相撲かサッカーにしようかなとちょうど考えていたので、いい機会だと思ったというのもあった。
いま思えばワールドカップ?を見たらよかったね、ワールドカップは1試合も見ていません


JFLFC大阪vsMIOびわこ滋賀戦、2022年11月20日

観劇した今思うに、別にサッカーのルールを把握しておく必要もなかったわけですが、観戦は楽しかったので、それはそれでよかったです



ミュージカル「ザ・ビューティフル・ゲーム
https://www.tbg2023.com/ *2023/3サイト閉鎖
2023年1月7日~26日 日生劇場
2023年2月4日~13日 梅田芸術劇場メインホール
(全38公演)
作曲:アンドリュー・ロイド=ウェバー
作詞:ベン・エルトン(訳詞:福田響志)
上演台本・演出:瀬戸山美咲
振付:ケイティ・スペルマン
サッカー監修:大久保嘉人
出演:小瀧望/木下晴香/益岡徹/東啓介/豊原江理佳/加藤梨里香/新里宏太/皇希/木暮真一郎/(以下五十音順)今村洋一/江見ひかる/岡本拓也/尾崎豪/後藤裕磨/齋藤信吾/酒井比那/酒井航/鮫島拓馬/社家あや乃/田川颯眞/富田亜希/中野太一/広瀬斗史輝/松田未莉亜/宮崎琴/門馬和樹/安井聡/吉田萌美/渡部光夏
製作:東宝/東京グローブ座